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空気であり水である大切な音楽たちに触発され、物書きリハビリ中
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ひとつ前の日記を書いてから、
いろんなことを思ってたら、
涙がぼろぼろ出てしまった。

言葉にして整理しただけなのに、
何でこんなに泣いてしまうんだろう。
愛しさで息苦しくなってしまうんだろう。
こんなにも大切だと改めて自覚させられる。
卒業なんてするなって、
『私』がまだ嫌々と首を振る。

僕にはsacraというホームがあって、
プラは逃げ場所だってちゃんと自覚してるのに。
有村さんが神様であるのは、
僕の心を唄ってくれたからだけじゃないのに。

有村さんを想う気持ちには翳りなんて微塵も無くて、
ただ今の有村さんと僕のズレは確かにあって、
追いつきたいなら彼の影に縋ってはいけないって、
だって僕は幸せな同調を願っていたんだから。

溢れるほどの感謝と愛しさを抱いて、
僕はsacraがくれた未来への道を歩くの。
時に強すぎる光に怯え、
変わらずそこにいるだろう有村さんの前で、
泣きじゃくることもあるかもしれないし、
それでいいと思ってる。
この場で進みたくないって顔を俯けてるよりは、ずっと。

考えてみれば何より大切なホームがあって、
それと同時に存在だけで救われてしまう神様がいるなんて、
とても贅沢なんじゃないだろうか。
とても僕は、幸せなんじゃないだろうか。




卒業したって僕は海月です。
ライブだって行きます。
泣いたり震えたりするんでしょう。
表面上は何も変わらないでしょう。

でも毎日sacraを聴いていないとだめだった僕が、
いつの間にかその頃より大きな気持ちを抱えながらも、
今sacraの音だけに縋って生きなくても良くなったように、
有村さんが生きて唄っていてくれるから生きているんじゃなくて、
有村さんがぜんぶ分かってるみたいに僕の心を唄うことで、
楽になって前に進めるように、
もっと苦しくない気持ちで有村さんを好きになるの。なりたいの。




こんなこと書いておいて、
8月末までの間に気持ちが逆戻りしたら、
ただの笑い事なんだけれど(苦笑)

たとえば僕が今よりちゃんと前に進む事が出来て、
僕が必死になって握っていた有村さんの手を放したとしたら、
それでも僕を、嫌わないでいてくれますか?
有村さんがいたから繋がっていけた海月さんたちが、
有村さんの存在とは関係なしにほんとに大切だから。



結論を出すのなんてまだ先でいいのに、
浮かんできた今の気持ちを書いて、
怖くて泣き出してしまう僕は、
もしかしたらまだまだ卒業なんて願えないのかもしれないけど、
明日にはまったく逆のことを想うのかもしれないけれど、
この自分の本心さえも不確かな今を、
僕はちゃんとひとつずつ忘れないように刻んでく。
これも、きっと修行。
あの方との約束を体現するための、道。

思い込みだけで結論を急いたら、
後悔だけしか残らないんだから。
それに、こうして書くことで、
どれだけ自分にとって有村さんが大切な存在なのか、
それがよくわかるしそれがうれしいから。

大切な人がいることが、幸せなの。

りゅうたろうさん、ありがとう。
いろいろなことを気づかせてくれて、ありがとう。

繊細できれいで弱くてなのに強くて優しい、僕の神様。
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誰も知らないなける歌、見た。
検索よけに平仮名にしますが、
にゅーとらるって読みはざ・にゅーとらるなのに、
どうしてCDショップとかではナ行にあるんだろう。
不思議だー。

にゅーとらるの曲で僕が泣いちゃうのはあの曲じゃないけど、
あの曲も眼が潤んだことがあるんだよね(笑)
てかしげるさんの唄ってる姿ってきらきらしてて、
全身で唄ってるの見てると泣けてきちゃうんだよね。

曲に行く前のインタビューで、
しげるさんの笑みと話す姿を見てたら、
何故かその時点で涙が出そうになったのは何故。
好きだなぁ、って思ったんだ。
対盤じゃなきゃきっと出逢うことはなかったから、
sacraに心から感謝してる。

しげるさんはとても優しい話し方をするから優しくなれる。

















昨日真っ赤な糸を聴いてたら涙があふれてきて、
ああ、もしも今の安定期の状態が続くのなら、
きっと武道館は僕の卒業ライブになるんだろうって思った。
これから仕事も決まって働きだしたら、
また有村さんの言葉が必要不可欠になるのかもしれないけれど、
もしも今のままの穏やかな状態が続くのなら、
僕はひとりで歩いていけるのかもしれない。

忘れたりなんかしない。
絶対、忘れたりなんかしない。

手を放してひとりで立ってみたって、
りゅうたろうさんを必要とした自分がいるのは事実なんだよ。
手を放したって救われた事実が消えるわけじゃないんだよ。

離れるのは冷めたからじゃない。
りゅうたろうさんが大切で、
りゅうたろうさんが好きで、
りゅうたろうさんの言葉に涙が出て、
それはずっとずっと変わらないの。

同調律が下がっていくわけじゃない。
ただ、あの頃みたいにりゅうたろうさんの闇に縋らなくても、
僕はりゅうたろうさんを想っていられるし、
その想いがあればひとりで歩くことだってできると思うの。

これからの僕の生活がどう動いていくかにもよるけれど、
依存から抜け出せるのならそれがいい。
気持ちを整理しながら武道館まで生きていこう。
武道館、チケットを取るという難関が残っているけれど、
行けると信じてゆっくり考えていかなきゃ。

嫌だなんて首を振るのは間違ってる。
だって僕はほんとは知ってたはずなんだ。
怖くて見ないふりをしてたんだ。

りゅうたろうさん。

りゅうたろう、さん。

名前を呼ぶと、涙が出る。
存在を想うと、涙が出る。

声が聴きたい。
優しい笑顔が見たい。
唄に触れたい。

りゅうたろうさんになれたら良かったのに。
別々だから依存をやめるのに躊躇うんだ。
絡まる糸を断ち切ったら、
僕がりゅうたろうさんに繋いだ想いさえも消えそうで、
そんなことあるわけがないのに、
怖いなんて思ってしまうんだ。

莫迦だな。
こんなにちゃんと分析できるのに。
神様だと思う感覚は、
変わらないって思えるのに。
何がこんなに怖くて震えてしまうんだろう。

武道館、きっと逢いに行く。
 
一日遅れましたが、三上先輩誕生日おめでとうございます!
三上先輩がいてくれたから、
霞はいろんな人と知り合うことができました。





びでおいんあめりか行ってみたのだけれど、
霞の欲しいCDはやはりありませんでした。
大人しく遠いけどゆーえすぶいに行きます。



あ。
かみぢのCD初回限定版を予約しました。
CPのタイトルがさくらとか、
霞を泣かせる気ですか(笑)
sacraとかぶっちゃうじゃないですか。
どんな歌詞か気になりすぎます。




新しい物語を書きたくなって、
設定と大体の骨子だけきめてみました。
書けるかなー。
がんばります。
本日自分の住む地域では初雪が降りました。
その時自分は水族館でイルカショウを見ていました。
ええ、そりゃもう大変寒かったです。



一度霞のもつiPodからデータが飛んだのですが、
その後なかなか復帰させることができずで、
最近ようやく復帰させるかという気になってまいりました。
それに伴いいろいろ音を増やそうと思うのですが、
霞の聴きたいジャンルの音楽がレンタルショップにないこの哀しい現実。

で。
家の近くに在るびでおいんあめりかに行ってみようと。
初なのですが、行ってみたらあるかもしれないし!

というわけで明日行ってくるかもしれません。
体調が悪かったから午前中は寝てた。
午後から施術してもらって、
ようやくレポを書こうとここにいる。
でも進まない。
なんだろう、今回のライブはあまり現実感がない。
というか、今回みていた世界は、
プラの世界であって有村さんの世界じゃなかったから。
確かにそこに有村さんは存在して、
有村さんの言葉を届けてくれて、
だけど、とても、違和感。
あの男の人のせいかな。
入り込めなかったんだ。
悔しい悔しい悔しい。

















タイトルのコピーがついてた本。
例のルーシー読みきった。
疲れたよ。面白かったけど。
でも理解できたとは思えない。
一度で理解できる人間がいたら尊敬する。

なんていうかさ、
ミステリの形をとった哲学書だったよ。
紹介に「ルーシー・デズモンドは誰でなかったかを書きたかったのでは」ってあったけど、
まさにそうだと僕も思う。

読破して伝わったのは、
自分は誰なのか、そして他人は誰なのかってことだ。
結局人は他人の眼を通してしか自分を規定できないし、
自分の言葉や世界でしか何をも表せないんだ。
以前に何かの番組でかみぢが鏡の中の自分は誰かと問うたけど、
それってとても哲学でこの話を読む時に棘みたいにずっとあった。

感情を語ったって、
自分はどんな人間か語ってみたって、
それが嘘じゃないって誰が言えるの?
自分に嘘をついてないなんて、
それを自信持っていえる人間なんているのかな。

ここにある自分が確かだなんて、
この世界が本当にあるものだなんて、
そんなこと僕は信じられないし、
何度もこれは誰かが見る夢なんじゃないかって思ったし、
ヴァーチャルみたいに細かなドットの視界は、
僕に現実をひどく曖昧に見せてるよ。

話の最後のほうで語られた、商品化された個人。
本名以外の名前をつけること。
過剰な記号で持って人は人であろうとするんだと、
無意識に曖昧な概念ではなく確実な記号で、
自分を規定し、人と自分を繋いでるんだと、
それはこのネットの世界と何が違うんだろう。

パトスとかエイドスとか正直よくわかんないよ。
でもパトスの世界にいるほうが、
個別の物語を持たないことに気づかないで生きてた方が、
人は幸せなのかもしれないって僕は思うよ。



関係ないのだけれど、
考えさせられる言葉があったので引用。

「依存する彼女はかっこ悪い、依存する自分は惨めだ、そう言いながらそれでも依存しなければそこにいることができないし、そんな自分を知っている。だからアイドルはいつの時代にも受け入れられる。実体のないものになら依存しても構わない、実体のないモノなら誰に依存しようと構わない。正確には、そのイデアである概念が受け入れられる。対アイドルへの依存はモノへの執着じゃない。アイドルと自分との間に横たわる永遠のイデア、不変の関係性への執着だ。だから、アイドルは唄を歌う。モノへの執着を前面に押し出せる人間は正直な方だが、そうできない人間もいる。だから唄がある。唄は漂流物として形を成さず、アイドルと自分の距離を永遠に保つ。その時記号は世界の果てに漂着し、メッセージを伝える概念になる」

だから、僕は有村さんを神聖化するのかもしれない。
 
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