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空気であり水である大切な音楽たちに触発され、物書きリハビリ中
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就職祝いなんてあるだろうか。
内容的には全然祝いでないのだけれどね。


19日当落、確認にいったんです。
当選、してました。
スタンディングの、200番台前半。


僕が心奪われた数少ないドラム。
大事にしているバンドさんから抜ける、最後のステージ。
当日居合わせることが許されたこと、
神様に感謝したい。


正直にいえば、2階の指定で見たいです。
高いところは怖いけれど、
僕はやっぱい落ち着いて座って見たい。
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ありむらりゅうたろうさんの、お誕生日です。
僕の神様が、お生まれになった日です。
それを想うだけで何故だか涙が出そうになる。

おめでとうじゃないんだ。
ありがとうなんだ。


僕がりゅうたろうさんと出逢ってから、
まだ3年も経っていない事実に気付く。
でもこの3年弱の間に、
僕はりゅうたろうさんからたくさんのものをもらった。
たくさんの出逢いをもらった。
いろんなことをいっぱい、教えてもらった。

僕が出逢ったりゅうたろうさんは、
Plastic Treeの唄屋さんではなく、
言葉を紡ぎだす詩人だった。
あの日あの方のもとで出逢った時、
僕の心はすでに化学反応を始めてた。
唄屋さんと知って音楽を聴いて、
遡るようにりゅうたろうさんを知っていて、
いつのまにかりゅうたろうさんは僕の神様になった。

出逢ったのが有村竜太朗だったから、
僕はRyutaroや竜太郎の言葉に安心して同調できたのだろうし、
Ryutaroや竜太郎がいたから竜太朗の強さも愛せるんだと思う。
同調するのは、
縋ってしまうのは、
過去の弱いりゅうたろうさんで、
変わっていく速度に追いつけなくて、
安定期のせいもあって、
今はぐらぐらしているのだけれど、
やっぱりりゅうたろうさんが僕の神様なのは変わらない事実です。

りゅうたろうさんがいたから出逢えた大好きな人がたくさんいるよ。
りゅうたろうさんがいたから知ることのできた音があるよ。
りゅうたろうさんがいたからsacraへの気持ちを見失わないでいられたよ。
りゅうたろうさんがいたから闇に向き合ってこれたし、
りゅうたろうさんがいたから僕は生まれて「私」を好きになりかけてるよ。

たとえ僕の心が先に進むことを願い依存をやめたって、
りゅうたろうさんがくれたたくさんのものが、
僕の心をずっと守っていてくれてるんだ。
ずっと、僕に寄り添っていてくれるんだ。

りゅうたろうさん。
想えば想うほど苦しくて、
名を呼べば呼ぶほど遠くて、
でも心だけはいつだって近くて、
その存在だけで涙が出て。

りゅうたろうさんがくれた「だいじょうぶ」って言葉が、
今でも僕の支えです。
だから僕も言います。
だいじょうぶ。
何があったって僕はりゅうたろうさんを想うから、
不安になんてならないで。
心配しないで。


言葉足らずな僕は、
結局いつも同じことしか言えないのだけれど、
でもこれが伝えたいことのすべてです。


生まれてくれて、ありがとう。
唄うことを選んでくれて、ありがとう。
感情を言葉にして、音に乗せて、僕に届けてくれて、ありがとう。
生きて笑って幸せになろうとしていてくれて、ありがとう。
僕や僕の大事な人を救ってくれて、ありがとう。
僕と出逢ってくれて、ありがとう。

りゅうたろうさんの幸せを、また一年祈る。
 
霞には大事な人がいる。
恋愛とかそんなんじゃなくて、
アーティストへの憧憬的なものでもなくて、
ただただ大切な人がいる。

その人は霞に有村さんを出逢わせてくれた人でした。
その人がいたから有村さんを好きになって、
有村さんを好きになったからPlastic Treeを愛しく思って、
ライブに通ったからぶっちのドラムを好きになった。
霞の”大事”はその人から始まってて、
sacra以外の光を見せてくれたその人こそが、
霞にとって一番の大事なものだと思うのです。

本人にも何度となく大好きって繰り返していて、
出逢ってくれたことを感謝していて、
その人が霞にくれた言葉を、
霞の書いたその人への想いを綴った日記に応えるように、
霞のことを大事に思ってくれていると書いてくれた日記を、
不意に読み返したくなって今読んだら、
また泣いてしまったりした。

大好き、なんです。
幸せに過ごしていて欲しいんです。

いつものようにミクシに書いてもよかったのだけれど、
恥ずかしいのでこっちに書いてみた(笑)
でもきっとそのうちまたミクシで好きだと書くんだろうなぁ。
sacraがメジャーに来てから5年が経つ、のだね。
ということは僕がsacraに出逢ってからもうすぐ5年が経つということだ。

僕とsacraが出逢ったのはTVのCMで、
僕はパソコンしてて音だけ聴いてて、
TVから漏れてる音なんてそれまで気にも留めてなかったのに、
イエスタデイの音が一瞬で僕の心を攫ってった。

音楽に興味がなかった僕にとって、
それがsacraというバンドのイエスタデイという曲だなんてすぐには調べつかなくて、
いろんな人に脳に刻み込まれたフレーズを問うて回ったことを覚えてる。

ライブに行ったのは僕が大学二年生の秋が初めてで、
その冬のワンマンでニライカナイに号泣した。
アルバムですでに聴いて救われて泣いた曲だったけど、
直接聴けたその時にsacraと出逢ったのは運命だったんだって思った。
死にたいと思った時に死ななくて良かったって、
sacraに逢うために生きてきたんだって、
そしてsacraがいなきゃ生きてけないって思ったんだ。

それは今も変わってない。
あの頃みたいにsacraだけに縋らなくてもだいじょうぶになったけど、
sacraがいなきゃ今の僕はいないし、
sacraがいるから笑えてることは今もまだたくさんある。

ほんとにたくさんたくさん、救われてる。
sacraの存在にどれだけ支えられているだろう。
どうしたらこの感謝を伝えられるのかな。
僕には言葉が足りなすぎて、
ありがとうって思うと言葉よりも涙ばかり出てきて、
こんなにも想いは溢れているのに、
うまく届けられなくてもどかしいよ。

インディーズの時のほうが良かったっていう人がいるのも知ってる。
でもメジャーに来てあの時CMをしていたから僕はsacraに出逢えて、
sacraから繋がっていった好きなこと、好きな人も多くて、
だから僕は今日この日を祝いたいと思うよ。
出逢ってくれたことを心から、感謝をしたいと思うよ。

3人で音を奏でてくれて、ありがとう。
僕を救ってくれて、ありがとう。
たとえ今は活動していなくたって、
絶対また逢おうって約束したんだから不安になんてならないよ。
新しい一年が3人にとって実りある年であることを祈る。

結局何度も書いて整理しないと、
簡単に鈍ってしまいそうになるのですよ。
それはプラからぶっちが抜けることに対してではなく、
ぶっちとプラのそれぞれの今後にそれぞれの不安を抱えているから。
でも、忘却モノローグのぶっちの部分を読み返したら、
なんかとてもすっきりした気持ちになった。

プラのドラマーあの人、ではなく、
ドラマーのあの人、になりたいと言った。
一生ドラムは続けていきたいって言った。
僕のぶっちのドラムに対する想いは、
そのぶっちの願いに近い形だろうと思うし、
ぶっちはきっとドラムは止めないから、
ちょっと泣いてぶっちへの不安は流してしまったよ。

ぱらりとページを繰って、
たろさんが必ずしもこの形でなくてもプラは存在するって言ってて、
それだったら心に影を落としていたとしても、
きっとたろさんが唄をやめることはないんだと思ったら、
その件に関しても不安がだいぶ軽減された。

プラが好き。
ぶっちの音が好き。
りゅうたろうさんの思想が、言葉が、大好き。
ぜんぶ好きの種類は違うのだけれど、
それは確かなことで、
そしてそれだけで十分だ。
その想いがあるなら、
この後のどんな形も、きっと受け入れられる。
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