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空気であり水である大切な音楽たちに触発され、物書きリハビリ中
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体調が悪かったから午前中は寝てた。
午後から施術してもらって、
ようやくレポを書こうとここにいる。
でも進まない。
なんだろう、今回のライブはあまり現実感がない。
というか、今回みていた世界は、
プラの世界であって有村さんの世界じゃなかったから。
確かにそこに有村さんは存在して、
有村さんの言葉を届けてくれて、
だけど、とても、違和感。
あの男の人のせいかな。
入り込めなかったんだ。
悔しい悔しい悔しい。

















タイトルのコピーがついてた本。
例のルーシー読みきった。
疲れたよ。面白かったけど。
でも理解できたとは思えない。
一度で理解できる人間がいたら尊敬する。

なんていうかさ、
ミステリの形をとった哲学書だったよ。
紹介に「ルーシー・デズモンドは誰でなかったかを書きたかったのでは」ってあったけど、
まさにそうだと僕も思う。

読破して伝わったのは、
自分は誰なのか、そして他人は誰なのかってことだ。
結局人は他人の眼を通してしか自分を規定できないし、
自分の言葉や世界でしか何をも表せないんだ。
以前に何かの番組でかみぢが鏡の中の自分は誰かと問うたけど、
それってとても哲学でこの話を読む時に棘みたいにずっとあった。

感情を語ったって、
自分はどんな人間か語ってみたって、
それが嘘じゃないって誰が言えるの?
自分に嘘をついてないなんて、
それを自信持っていえる人間なんているのかな。

ここにある自分が確かだなんて、
この世界が本当にあるものだなんて、
そんなこと僕は信じられないし、
何度もこれは誰かが見る夢なんじゃないかって思ったし、
ヴァーチャルみたいに細かなドットの視界は、
僕に現実をひどく曖昧に見せてるよ。

話の最後のほうで語られた、商品化された個人。
本名以外の名前をつけること。
過剰な記号で持って人は人であろうとするんだと、
無意識に曖昧な概念ではなく確実な記号で、
自分を規定し、人と自分を繋いでるんだと、
それはこのネットの世界と何が違うんだろう。

パトスとかエイドスとか正直よくわかんないよ。
でもパトスの世界にいるほうが、
個別の物語を持たないことに気づかないで生きてた方が、
人は幸せなのかもしれないって僕は思うよ。



関係ないのだけれど、
考えさせられる言葉があったので引用。

「依存する彼女はかっこ悪い、依存する自分は惨めだ、そう言いながらそれでも依存しなければそこにいることができないし、そんな自分を知っている。だからアイドルはいつの時代にも受け入れられる。実体のないものになら依存しても構わない、実体のないモノなら誰に依存しようと構わない。正確には、そのイデアである概念が受け入れられる。対アイドルへの依存はモノへの執着じゃない。アイドルと自分との間に横たわる永遠のイデア、不変の関係性への執着だ。だから、アイドルは唄を歌う。モノへの執着を前面に押し出せる人間は正直な方だが、そうできない人間もいる。だから唄がある。唄は漂流物として形を成さず、アイドルと自分の距離を永遠に保つ。その時記号は世界の果てに漂着し、メッセージを伝える概念になる」

だから、僕は有村さんを神聖化するのかもしれない。
 
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