空気であり水である大切な音楽たちに触発され、物書きリハビリ中
一日遅れましたが、三上先輩誕生日おめでとうございます!
三上先輩がいてくれたから、
霞はいろんな人と知り合うことができました。
びでおいんあめりか行ってみたのだけれど、
霞の欲しいCDはやはりありませんでした。
大人しく遠いけどゆーえすぶいに行きます。
あ。
かみぢのCD初回限定版を予約しました。
CPのタイトルがさくらとか、
霞を泣かせる気ですか(笑)
sacraとかぶっちゃうじゃないですか。
どんな歌詞か気になりすぎます。
新しい物語を書きたくなって、
設定と大体の骨子だけきめてみました。
書けるかなー。
がんばります。
三上先輩がいてくれたから、
霞はいろんな人と知り合うことができました。
びでおいんあめりか行ってみたのだけれど、
霞の欲しいCDはやはりありませんでした。
大人しく遠いけどゆーえすぶいに行きます。
あ。
かみぢのCD初回限定版を予約しました。
CPのタイトルがさくらとか、
霞を泣かせる気ですか(笑)
sacraとかぶっちゃうじゃないですか。
どんな歌詞か気になりすぎます。
新しい物語を書きたくなって、
設定と大体の骨子だけきめてみました。
書けるかなー。
がんばります。
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本日自分の住む地域では初雪が降りました。
その時自分は水族館でイルカショウを見ていました。
ええ、そりゃもう大変寒かったです。
一度霞のもつiPodからデータが飛んだのですが、
その後なかなか復帰させることができずで、
最近ようやく復帰させるかという気になってまいりました。
それに伴いいろいろ音を増やそうと思うのですが、
霞の聴きたいジャンルの音楽がレンタルショップにないこの哀しい現実。
で。
家の近くに在るびでおいんあめりかに行ってみようと。
初なのですが、行ってみたらあるかもしれないし!
というわけで明日行ってくるかもしれません。
その時自分は水族館でイルカショウを見ていました。
ええ、そりゃもう大変寒かったです。
一度霞のもつiPodからデータが飛んだのですが、
その後なかなか復帰させることができずで、
最近ようやく復帰させるかという気になってまいりました。
それに伴いいろいろ音を増やそうと思うのですが、
霞の聴きたいジャンルの音楽がレンタルショップにないこの哀しい現実。
で。
家の近くに在るびでおいんあめりかに行ってみようと。
初なのですが、行ってみたらあるかもしれないし!
というわけで明日行ってくるかもしれません。
体調が悪かったから午前中は寝てた。
午後から施術してもらって、
ようやくレポを書こうとここにいる。
でも進まない。
なんだろう、今回のライブはあまり現実感がない。
というか、今回みていた世界は、
プラの世界であって有村さんの世界じゃなかったから。
確かにそこに有村さんは存在して、
有村さんの言葉を届けてくれて、
だけど、とても、違和感。
あの男の人のせいかな。
入り込めなかったんだ。
悔しい悔しい悔しい。
タイトルのコピーがついてた本。
例のルーシー読みきった。
疲れたよ。面白かったけど。
でも理解できたとは思えない。
一度で理解できる人間がいたら尊敬する。
なんていうかさ、
ミステリの形をとった哲学書だったよ。
紹介に「ルーシー・デズモンドは誰でなかったかを書きたかったのでは」ってあったけど、
まさにそうだと僕も思う。
読破して伝わったのは、
自分は誰なのか、そして他人は誰なのかってことだ。
結局人は他人の眼を通してしか自分を規定できないし、
自分の言葉や世界でしか何をも表せないんだ。
以前に何かの番組でかみぢが鏡の中の自分は誰かと問うたけど、
それってとても哲学でこの話を読む時に棘みたいにずっとあった。
感情を語ったって、
自分はどんな人間か語ってみたって、
それが嘘じゃないって誰が言えるの?
自分に嘘をついてないなんて、
それを自信持っていえる人間なんているのかな。
ここにある自分が確かだなんて、
この世界が本当にあるものだなんて、
そんなこと僕は信じられないし、
何度もこれは誰かが見る夢なんじゃないかって思ったし、
ヴァーチャルみたいに細かなドットの視界は、
僕に現実をひどく曖昧に見せてるよ。
話の最後のほうで語られた、商品化された個人。
本名以外の名前をつけること。
過剰な記号で持って人は人であろうとするんだと、
無意識に曖昧な概念ではなく確実な記号で、
自分を規定し、人と自分を繋いでるんだと、
それはこのネットの世界と何が違うんだろう。
パトスとかエイドスとか正直よくわかんないよ。
でもパトスの世界にいるほうが、
個別の物語を持たないことに気づかないで生きてた方が、
人は幸せなのかもしれないって僕は思うよ。
関係ないのだけれど、
考えさせられる言葉があったので引用。
「依存する彼女はかっこ悪い、依存する自分は惨めだ、そう言いながらそれでも依存しなければそこにいることができないし、そんな自分を知っている。だからアイドルはいつの時代にも受け入れられる。実体のないものになら依存しても構わない、実体のないモノなら誰に依存しようと構わない。正確には、そのイデアである概念が受け入れられる。対アイドルへの依存はモノへの執着じゃない。アイドルと自分との間に横たわる永遠のイデア、不変の関係性への執着だ。だから、アイドルは唄を歌う。モノへの執着を前面に押し出せる人間は正直な方だが、そうできない人間もいる。だから唄がある。唄は漂流物として形を成さず、アイドルと自分の距離を永遠に保つ。その時記号は世界の果てに漂着し、メッセージを伝える概念になる」
だから、僕は有村さんを神聖化するのかもしれない。
午後から施術してもらって、
ようやくレポを書こうとここにいる。
でも進まない。
なんだろう、今回のライブはあまり現実感がない。
というか、今回みていた世界は、
プラの世界であって有村さんの世界じゃなかったから。
確かにそこに有村さんは存在して、
有村さんの言葉を届けてくれて、
だけど、とても、違和感。
あの男の人のせいかな。
入り込めなかったんだ。
悔しい悔しい悔しい。
タイトルのコピーがついてた本。
例のルーシー読みきった。
疲れたよ。面白かったけど。
でも理解できたとは思えない。
一度で理解できる人間がいたら尊敬する。
なんていうかさ、
ミステリの形をとった哲学書だったよ。
紹介に「ルーシー・デズモンドは誰でなかったかを書きたかったのでは」ってあったけど、
まさにそうだと僕も思う。
読破して伝わったのは、
自分は誰なのか、そして他人は誰なのかってことだ。
結局人は他人の眼を通してしか自分を規定できないし、
自分の言葉や世界でしか何をも表せないんだ。
以前に何かの番組でかみぢが鏡の中の自分は誰かと問うたけど、
それってとても哲学でこの話を読む時に棘みたいにずっとあった。
感情を語ったって、
自分はどんな人間か語ってみたって、
それが嘘じゃないって誰が言えるの?
自分に嘘をついてないなんて、
それを自信持っていえる人間なんているのかな。
ここにある自分が確かだなんて、
この世界が本当にあるものだなんて、
そんなこと僕は信じられないし、
何度もこれは誰かが見る夢なんじゃないかって思ったし、
ヴァーチャルみたいに細かなドットの視界は、
僕に現実をひどく曖昧に見せてるよ。
話の最後のほうで語られた、商品化された個人。
本名以外の名前をつけること。
過剰な記号で持って人は人であろうとするんだと、
無意識に曖昧な概念ではなく確実な記号で、
自分を規定し、人と自分を繋いでるんだと、
それはこのネットの世界と何が違うんだろう。
パトスとかエイドスとか正直よくわかんないよ。
でもパトスの世界にいるほうが、
個別の物語を持たないことに気づかないで生きてた方が、
人は幸せなのかもしれないって僕は思うよ。
関係ないのだけれど、
考えさせられる言葉があったので引用。
「依存する彼女はかっこ悪い、依存する自分は惨めだ、そう言いながらそれでも依存しなければそこにいることができないし、そんな自分を知っている。だからアイドルはいつの時代にも受け入れられる。実体のないものになら依存しても構わない、実体のないモノなら誰に依存しようと構わない。正確には、そのイデアである概念が受け入れられる。対アイドルへの依存はモノへの執着じゃない。アイドルと自分との間に横たわる永遠のイデア、不変の関係性への執着だ。だから、アイドルは唄を歌う。モノへの執着を前面に押し出せる人間は正直な方だが、そうできない人間もいる。だから唄がある。唄は漂流物として形を成さず、アイドルと自分の距離を永遠に保つ。その時記号は世界の果てに漂着し、メッセージを伝える概念になる」
だから、僕は有村さんを神聖化するのかもしれない。
今年はご挨拶ができないのでごめんなさい。
どうぞこれからも見捨てずにいてやってください。
今日はPlastic Treeのライブに行ってまいります。
昨年最後のライブはsacraで、
本年最初のライブがプラなんて、
自分はなんて幸せなんだろうかと思います。
緊張するのだけれど。
泣いてしまうのだけれど。
それでも逢わずにいられないんです。
逢うと赦される気がして、
生きて行こうって思えるのです。
ライブには中西もきっときてる。
霞の中西はプラ好きだから。
なんかとても、似通っているの。
どうぞこれからも見捨てずにいてやってください。
今日はPlastic Treeのライブに行ってまいります。
昨年最後のライブはsacraで、
本年最初のライブがプラなんて、
自分はなんて幸せなんだろうかと思います。
緊張するのだけれど。
泣いてしまうのだけれど。
それでも逢わずにいられないんです。
逢うと赦される気がして、
生きて行こうって思えるのです。
ライブには中西もきっときてる。
霞の中西はプラ好きだから。
なんかとても、似通っているの。
ってこんな時間に書く言葉ではないですね(笑)
どっかの転載で申し訳ありません、霞ですー。
みんなが今年一年を振り返っているけれど、
あえて振り返らない選択肢をとろうかと思いつつ、
ああ、でもひとり思い起こすと、
よく僕鬱にならずにがんばったなぁ、とか思う。
嫌なことがたくさんあったし、
正直今日も苛々したりして、
ほんとに自分が生きてる意味わかんないし、
心潰れそうだなぁ、って思うのだけれど、
それと同時にうれしいことも、
感謝することもたくさん、あったから。
仕事は苦しすぎたけど、
人として心から尊敬できる係長に出逢えたし、
sacraが活動を休止したけど、
そんな中僕はかみぢに出逢えたし、
たくさん、かみぢに言葉をもらって泣いたし、
りゅうたろうさんの唄が今年も僕を赦して、
行けないはずだった年明けのチケットも譲ってもらえたし、
木谷さんにずっと唄ってるからっていってもらえたし、
sacraにも2008年の最後の最後で逢えたし、
あの方にも直接、
好きだって、ありがとうって伝えられたし、
大好きで大切なオフライン、オンラインの友人たちにもお逢いできた。
去年から引き続き僕と繋がっていてくれた方々、
今年僕と繋がってくれた方々、
本当に、ありがとう。
こんなだめな人間と、
手を繋いでくれてありがとう。
いただけるコメントがうれしくて、
ぎゅってしてくれる熱がうれしくて、
僕はsacraとりゅうたろうさんと、
その他大好きなアーティストさんと、
そして大切な子たちに、
命を繋いでもらった気がするよ。
大好きです。
来年もよかったら、繋がっててやってください。
どっかの転載で申し訳ありません、霞ですー。
みんなが今年一年を振り返っているけれど、
あえて振り返らない選択肢をとろうかと思いつつ、
ああ、でもひとり思い起こすと、
よく僕鬱にならずにがんばったなぁ、とか思う。
嫌なことがたくさんあったし、
正直今日も苛々したりして、
ほんとに自分が生きてる意味わかんないし、
心潰れそうだなぁ、って思うのだけれど、
それと同時にうれしいことも、
感謝することもたくさん、あったから。
仕事は苦しすぎたけど、
人として心から尊敬できる係長に出逢えたし、
sacraが活動を休止したけど、
そんな中僕はかみぢに出逢えたし、
たくさん、かみぢに言葉をもらって泣いたし、
りゅうたろうさんの唄が今年も僕を赦して、
行けないはずだった年明けのチケットも譲ってもらえたし、
木谷さんにずっと唄ってるからっていってもらえたし、
sacraにも2008年の最後の最後で逢えたし、
あの方にも直接、
好きだって、ありがとうって伝えられたし、
大好きで大切なオフライン、オンラインの友人たちにもお逢いできた。
去年から引き続き僕と繋がっていてくれた方々、
今年僕と繋がってくれた方々、
本当に、ありがとう。
こんなだめな人間と、
手を繋いでくれてありがとう。
いただけるコメントがうれしくて、
ぎゅってしてくれる熱がうれしくて、
僕はsacraとりゅうたろうさんと、
その他大好きなアーティストさんと、
そして大切な子たちに、
命を繋いでもらった気がするよ。
大好きです。
来年もよかったら、繋がっててやってください。